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2011
12.30

月命日

Category: まろん
昨日は、まろんの初めての月命日でした。




もう1ヶ月たったんだ。

11月23日に二度目の心タンポナーデを起こしたときに

「クリスマスもお正月も一緒に過ごせたらいいな♪」

「まだまだ先だな。まろん頑張れるかな?」

って心配になりました。



その1ヶ月がもう過ぎた。


まろんとの11年2カ月。

元気な時間はあっという間だったもんな。

もっと一緒の時間を大切にしてあげれば良かったね。

共働きのため、ほとんどお留守番だったから、
朝の散歩メシ寝る夜の散歩メシ寝る
をたくさん繰り返して気づいたらおじいちゃん犬になっちゃってたんだね。

疲れてるからとか出掛けたいからって、人間の都合を優先させて、撫でてあげたり話しかけてあげる時間は少なかったね。

もっと出来たはずだよね。

もうまろんの事触れない。

今気づくんじゃ遅いね。

アルバムをめくりながら、まろんとの思い出を噛みしめています。



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2011
12.28

おつとめ

Category: まろん
朝方『スースー。』
くるみに呼ばれ、チッコかと思い起き上がると、なんと布団の中に入ってきた。
キャッ
私には初めて。

冷たくなった体を丸めてすやすや。

今までは、まろんが寒がりでよく入ってきてたけど、温かい背中を抱きしめて感触を思いだし、まろんが教えてあげたんだなって温かい気持ちになりました。


まろんは今、何してるの?
寒くないの?
ラブ、マリイ、スティーブ、ベル、みんなと遊んでるのかな?


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2011
12.26

甘えんぼ

Category: くるみ
シェパードは、見た目に似合わずとっても甘えんぼさんなのでした。

まろんが亡くなってからしばらくは、私がまろんの布団にくるまって泣いているのを緊張して見ないふりしていました。

くるみも、私が仕事から帰ってくると『おかえりです!』と歓迎のちゅーをした後、まろんが良く日向ぼっこしていた場所へ私を連れていきました。

いつもと同じパターンで、二人でまろんを起こしに行ってたもんね。

ポカポカのお布団には、当然まろんはいません。
お日様の匂いのお布団を嗅いでは、隣の部屋のソファーかもしれんと私を誘うくるみ。
「いないね?」「おかしいね?」

始めのうちは、まろんが入院したと思ったのか私達が車で帰ってくると、まろんを探してました。

それでもたぶん、亡くなった事わかってるのだと思います。

だんだん元気がなくなって、何でもまろんより先にしてもらいたくて忙しい子だったのに
張り合いが無くなってしまったのか、ソファーで丸まっていることが多くなりました。


あんまり仲良くなかったけど、やっぱりいないと寂しいよね。
元気もないし嘔吐を何度もする日があったから、すごく心配しました。

とっても辛いけど、一緒に乗り越えようね。




最近は、一人っ子に慣れてきたのかな?

休みの日には、なるべく一緒に連れ出すようにしました。

少しまろんに悪い気がして、まろんも行きたかったかな?って心が痛みます。

でも、くるみの一人っ子甘えんぼ生活はまろんがくれたプレゼント。
元気な時にたくさん楽しんでほしいです。


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2011
12.13

合同葬儀式

Category: まろん
甲州街道のいちょう並木。

まろんとの最後の2カ月余り、何度も何度も通った。

火葬に行った日も、複雑な思いで病院を通り過ぎた。

毎年、いちょう並木を見るたびに胸が締め付けられてしまうのでしょう。

まだまだ、高尾のお墓には入れられないよ。

合同葬儀式で、お坊さんがお話していました。
お経の最初と最後のシンバルのような音は、皆で列を組んで天国へ行進していく合図と最後の子が天国に行けたという合図です。と。

もっと側に居てくれると、49日までは一緒だからクリスマスもお正月も過ごせるって思っていたので、まだお空に行かないでと思ってしまいました。


まろんが亡くなってからの1週間は、ウツになりそうでした。
まろんの最期の足取りを見つけては、かわいそうで申し訳なくてどうしていいかわかりませんでした。

それなのに、少しずつご飯を食べられるようになって、少しずつ笑ったり家事も出来るようになって、又普通の日常が戻ってきた。

まろんが最期に一人でどれくらい頑張ったのか、忘れたくないよ。
どんなに苦しかったかを忘れたくないよ。


リビングに敷いたお布団で寝たまろんを見たのが最後でした。
主人がお昼に様子を見に帰ってきて、いつもと変わらずおじいちゃんな感じで、おやつは食べるけどあとは横になっていたまろん。
12時半頃、仕事に戻りました。

私が帰ったのは4時半頃。
玄関で、私達の帰りを待っていたかのように亡くなっていました。
空白の4時間。


手足や口も冷たくなり、大きく開けた口から唾液のようなものが床に溜まっていました。
お腹周りが、オシッコでびっしょり濡れていました。
でも、床は濡れていません。
そして、ウンチがお尻から出てしまっていて、冷たくなっていました。

どのくらい一人でこうして待ってたんだろう・・・。
苦しくなかっただろうか?

そして、部屋中見て歩き胸が締め付けられました。

まろんは、想像ですが、2階の私の部屋にオシッコしたくなったと呼びに行ったようでした。
でも、探したけどいなくて我慢できずに床で大量のオシッコ出ちゃいました。
その後すぐに階段の上で意識を失い倒れ、そこでもオシッコが出てしまってお腹周りが濡れたのだと思われます。
そして、意識が朦朧としながら階段を降りてきてそのまま再び玄関で倒れてしまった。

その間どれくらいの時間だったのか、苦しくて助けを求めてたのかもしれないし、想像すればするほど側にいてあげなかった自分を責めました。

玄関を通るたび、開けるたび、まろんの倒れていた姿が目に焼き付いてその場に座りこんでいました。
何度も「ごめんね。」と言って泣きました。






でも今少し時間が経って、少しずつ「ありがとう。」って言えるようになってきました。


又、体調悪くなって、病院に連れて行くの大変だからと思って気を使って誰もいない時を選んだのかな?

33キロのまろんを腰の良くない私達に運ばせるの大変だからって、最後の力を振り絞って階段を降りてきてくれたのかな?

介護になったら仕事との両立私には出来なそうだからと思って、元気なまま突然旅立ったのかな?

前日に新聞の継続断ってたのを聞いてて、お金の心配してくれたなかな?

いつもまろんに合わせて生活してたけどくるみももうすぐ7歳だから、一人っ子の時間を作ってあげたかったのかな?


少しずつだけど、まろんに「ごめんね。」じゃなく「ありがとう。」を言えるようにしていきたいな。
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2011
12.12

私に出来ること

Category: まろん
血管肉腫

出来る場所によって違ったのか、それとも行った病院によって違ったのか。

自分の中で、まろんの死が受け止められないのです。

それは、看取れなかったという悔しさが延々と付きまとい、誰かのせいにしてこの苦しみから抜け出したいだけかもしれません。

それでも、納得は出来ないかもしれないけれど、結局まろんの死の原因はなんだったのか?治療は何もなかったのか?

病院からしたら本当に嫌な飼い主でしょう。
でも、亡くなった為次の診察のキャンセルの連絡を入れたが、何の説明もなかった。
きちんと説明してほしかったんです。


まろんは、ここら辺では有名な大きな病院に行ってました。
2時間待ちなんて普通です。
先生も常時6人位はいるようです。
まろんもくるみも院長指名でしたが、お休みの日も多く、今回まろんが体調を崩した時も毎回違う先生でした。


9月16日夜、食欲不振 嘔吐 下痢
で受診したときは、Y先生でした。
『急性膵炎で今夜も危ない。』
と言われ、泣きながら連れて帰りました。
心臓のレントゲンや膵臓肝臓などのエコーをとっての診断でした。
処置は皮下点滴でした。
その晩は、本当に辛そうで寝ていられず何度も嘔吐と下痢を繰り返しかなり弱りきってました。


9月17日朝、早々に病院へ。
一日点滴の為夜まで入院。
Y先生、『検査の結果、膵炎ではありませんでした。』
『心臓に心のう水が溜まり臓器を圧迫していた為膵臓や肝臓が腫れていた。更に、心臓の右心耳に腫瘍が見えました。おそらく血管肉腫なので、腫瘍科の先生に診てもらいましょう。』

その後何日か、点滴に通い心のう水を抜いた。
それから、抗生物質と胃腸薬の飲み薬を1週間飲んだ。

9月23日
腫瘍科の権威と聞いていたH先生に診てもらったのですが、どうも楽観的な様子。
『腫瘍が見えませんね。心のう水がどの位のペースで溜まるか知りたいので4、5日の間隔でエコーしてもらって下さい。』


それから何度も検査に通うが、心のう水は溜まるものの抜く程ではなかったり吸収されて無くなっていたりの繰り返し。院長先生にも診てもらった日もありましたが、『腫瘍は見えず』との事でした。
ただ、最初に採った心のう水の検査結果がやっと出て『血管肉腫の疑い』と書いてあった。院長は、抗がん剤やサリドマイドの話をしてくれて、『H先生は抗がん剤治療をやるのではないかな。』と言っていた。


10月28日H先生の診察
『突発性心タンポナーデで血管肉腫の可能性は極めて低い。突発性なので繰り返すかもしれないし一度きりかもしれないし、溜まったら抜いてもらって下さい。様子見でいいです。』

でも検査の結果には・・・

『心タンポナーデでも悪性腫瘍の細胞が出ることがあるので。でも、他の臓器にも転移してないし、心臓にも見つからないから大丈夫ですよ。血管肉腫なら肺にも転移が始まってくるし、心のう水ももっと急速に溜まります。1カ月半溜まってないから。』


そう言われ、次の予約は12月中旬でいいとの事でした。

困惑しながらも、腫瘍科の権威が言うんだしと安心していたんです。

良かったね、血管肉腫じゃ無さそうだ。って。

その頃から、まろんは前足をビッコ引くようになりました。
家にいるときは床に足をつけなくて三本足で立ってました。
なので、調子のいい日はビッコで散歩するけれど、行きたがらない日もありました。
今思えば、心臓や肺が腫瘍に圧迫されて苦しくて行きたくない日もあったのでしょう。

あまりに長く(2週間位)続くので、11月14日院長受診
ステロイド注射。
心配だったので、心臓のエコーをお願いしましたが、『H先生に診てもらったのが2週間前なので大丈夫でしょう。』と言われ診察終了。


11月23日本院午後休診のため分院へ。
二度目の心タンポナーデ。
前回よりもひどく夜には立てなくなり、嘔吐も。
心のう水を抜いたがあまり良くならず、手足や口も冷たくなりそのまま死んでしまうのではないかというぐらい危険な状態。

11月24日
I先生。『貧血ぎみだが輸血するほどではない。今日も心のう水を抜いた。脾臓に1センチの腫瘍ありました。血液検査もあまり良い数値ではない。』
一日点滴。

11月25日
H先生より電話あり。
予約が入ってないので少ない時間で診てくれた様子。これから手術があるとの事で用件だけ。
『右心房に5センチの腫瘍がありました。』
夜にお迎えに行くと、I先生より詳しく説明あり。
『腫瘍が右心房を覆っていて、心房が動いてません。心室だけでかろうじて動いています。不整脈が一日中出ていました。もう何週間と心臓が持たないでしょう。明日、循環器の先生に診てもらいましょう。』


11月26日循環器の先生
『心臓病ではなく、腫瘍による心臓の動きを良くするような薬はありません。今日は心房が動いてます。正常ではないですが。あとは12月2日にH先生に診てもらって下さい。』


そして、まろんは何も治療をしないまま・・・。
11月29日亡くなりました。



なので、院長にいったいまろんは何の病で亡くなったのか聞きたっかたのです。

頑なにH先生が血管肉腫を疑わなかった理由が知りたい。

みなさんの闘病ブログを見ると、抗がん剤や止血剤、ステロイドなどで治療しているし、血管肉腫として余命の宣告があったり、癌ならとサプリや食事を気を付けたりしていました。

私は、何もしていませんでした。
だって、原因不明の突発性心タンポナーデだから。
普通の生活。
もっと苦しい時間を減らしてあげたかったし、もっと体に良いご飯作ってあげれば良かった。
心臓に負担がかかっているのを知らず、筋肉落ちちゃうからって嫌がる日も散歩に連れ出した。



そして
結局、院長の話では・・・。

『H先生はたくさんの血管肉腫を診てきている。その症例から、まろんは血管肉腫ではないという判断をしたのでしょう。心のう水の溜まる速度が遅かったからというのもあるでしょう。脾臓や肝臓など切除出来る部位なら、検査に出して血管肉腫という証拠がとれるが、心臓原発の場合抗がん剤やサリドマイドの治療は出来ないかもしれませんね。結果的には心臓の腫瘍による心不全ではないか。』


納得はしたくないけれど、納得するしかないのですね。
ただ心臓が持たない状態になる前に、腫瘍に気づいてほしかった。
腫瘍がやっと見つかったけど、もうあと一週間位かもって教えてほしかった。
少し良くなったって喜んで病院をあとにしてしまったんだよ。
残された時間を知っていれば、もっとまろんに嬉しいことしてあげたかった。
最期の時は休みをしばらく取るつもりでいた。
まろんの介護のためにためてきた有休を一日も使わずに終わってしまった。


今度まろんと同じ心臓原発の血管肉腫の子がいた時には、今までの症例にとらわれず、良く調べてあげてほしいです。

突然愛する我が子を失うのは、本当に辛い事だったから。



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2011
12.09

ごめんね  まろん

Category: まろん
大好きなまろん

どうして一人で逝ってしまったの

苦しかったでしょ

寂しかったでしょ

ごめんね、ごめんね


11月29日午後12:30~4:15の間に、虹の橋渡っていきました。





23日24日に2日続けて心タンポナーデを起こし、心のう水を(といっても血)を抜きなんとか復活した。



24日25日まで日中入院で点滴をしていました。
25日の夜には、鶏レバーと大好きなお米をガツガツ食べて、お散歩も20分位は自分から行った。

すごいね。まろん。

又、2ヶ月前みたいに、心のう水を抜いたんだから元気になるって思ってたのにね。

先生、どうして突発性心タンポナーデだからって何も治療してくれなかったんだろうね。

あんなに頑張って病院に検査に通ったのに、どうして腫瘍がないって言ったんだろうね。


どうして腫瘍が5センチになって、もうあまり心臓が機能してないからなんて言うんだろう。

ずっと苦しかったのに、気づいてあげられなくてごめんね。

いっぱい無理させちゃってたね。


まろん、具合悪いとこ見せないけど頑張ってただけなのに、まさかこんなにすぐ逝ってしまうなんて・・・。

どうして、仕事に行っちゃったんだろう。

朝の忙しい時間の中で、いつもと変わらず玄関から『行ってくるね。』と声をかけたのが最後でした。

昨日もずっとケージの中で眠ってた。

ご飯はガツガツ食べたけど、昨日の夜もその日の朝もお散歩ぽてちんしか行かなかったね。

具合良くなかったんだね。

どうして気づいてあげられなかったんだろう。

布団の上で、目だけこちらに向けてじっと見てた。

寂しそうな顔だった・・・。


午後4時15分

玄関を開けて、言葉を失った。

ビックリしすぎて、まろんを抱きしめてあげることも出来ずその場で座り込むだけでした。


申し訳なくて、申し訳なくて、どうしてよいかわかりませんでした。

一人で死なせてしまった罪悪感。

何も治療をしてあげられなかった後悔。

もっと一緒にいたかったな。

もっとまろんとの時間を作れば良かったね。

ごめんね。

まだしばらくは、悲しみだけで楽しかったこと思い出せないよ。

ごめんね。まろん。
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